ゴー宣DOJO

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切通理作
2012.5.15 12:58

橋下徹現象の正体~「価値観の一本化」という危険

 
 

  大阪から出てきたタレント文化人がテレビで人気者になって知事になり、市長になった・・・・・・ぐらいにしか思ってなかったのが、いつのまにやらマスコミが「次期総理はこの人か」の大合唱。

 

  橋下徹がなんであんなに支持を受けているのか、彼のツイッター上や記者会見での「暴言」を知った上でもなお、いやそれゆえに「面白い」と支持する人間がいるのはなぜか?

 

  まずはそれを格好の材料として論議が始められた「第25回ゴー宣道場 公民と国民、何が違うのか?ー権力批判のすすめー」。

 

  論議の中で考えたのは、橋下徹を支持している人間は、ひょっとしたら「価値観の一本化」を体質的に望んでいるのでは?・・・・・・ということでした。

 

  橋下市長はツイッターで、大学受験がペーパーテスト一枚で決まってしまう現状を嘆き、その人がそれまでの人生でやってきたことを総合的に評価すべし・・・・・・と書いています。

 

 これはおそろしい発想だと思いました。成長していく中で一回でも過ちを犯した人間には、どんなに勉強しても一生リセットの機会は与えられないのですから。

 

 また成長過程の学校での評価と、大人になってからその人生経験の中で実績を作って社会に評価されるということを、一緒にしてはいけないはず。

 

 発達障害は伝統教育で治せるという考えを表明したのちに慌てて「自分はむしろ反対だ」と否定してみせた橋下市長ですが、これも「価値観の一本化」でしょう。

 

 都構想の意味合いについてもそうで、小林さんから指摘されても、あくまで自分にとっては「府」と「市」を再編したからそうなるのだという一点張りで、「天皇陛下がいらっしゃるから『都』と呼ぶ」という、同じことが国柄の方から測られることもあるのだということを、頑として認めようとしない。

 

 道場第二部で、石原知事が都で尖閣諸島を買うと宣言したことに笹さんが違和感を口にしたのを、はじめ僕はどうしてかわかりませんでした。笹さんは手続き論にこだわっているのかなと思っていました。

 

 しかし次第に、その違和感が僕なりに了解できるものになってきました。

 道場の時間内に挙手をして発言された参加者で、千葉在住だという人は、石原知事の決断を評価したうえで、「東京都民がうらやましい」と言っていました。

 僕は東京都民ですが、石原知事の決断を聞いた時、なにもしなくても、ただ都民として税金を払っているだけで、なにか私利私欲を超えた「国民」としての大義を果たせるような気持になっていたことを告白しなければなりません。ただ居ながらにして英雄的行動でもとれるような気になっていたのです。

 これでは、インターネットで世の中を動かした気になっている人々と変わりません。


 

 笹さんはひょっとしたら、そのことのヤバさを指摘していたのかもしれない。そこに気付いたのは、道場が終わって「語らいタイム」を収録していた時でした。

 

 議会制をすっとばして、コネをふっ飛ばして、一気に「いまここ」にいる自分と政治の世界を結びつける。

 

 高森さんが指摘した府政市政の停滞や、「何も決められない」政治への不信の中で、橋下徹の存在が一定のリアリティを持つということ。

 それは同時に、ネットと親和性の強いリベラル派にとっても風通しのいいことなのかもしれません。

 

いまのネット社会において、だだ漏れになった個人の趣味嗜好がそのままフィードバックされるようになり、首から上の「意見」よりも、消費行動の正直さの方が市民の実情を掬い取っている・・・・・・とするリベラル派にとって、その試金石としての「声が近い気がする」政治家・橋下徹への評価。

 

 橋下徹の政策ひとつひとつが、彼自身の思想を持たない空っぽのツギハギだったとしても、むしろだからこそポピュリズムの具現としての価値がある・・・・・・と思っている人もいるのかもしれません。

 

 しかし、それは危険です。消費行動つまり商業主義と、政治や思想が一本化された時、逃げ場のない社会が到来するのではないかと、私は思います。誰も批判することが出来ないという点で、ポピュリズムがファシズムに裏返る瞬間が来るのでは?

 

 「橋下徹にヒトラーほどのカリスマ性、オーラがあるとは思えない」との声も聞きます。

 しかし問題は橋下徹という人物一人ではなく、むしろ「ヒトラーなきファシズム」の浮上なのかもしれません。

 

 小林さんの言うように、だだ漏れの無意識ではなく、当事者としての「公の意識」が人々の中にあるということが自覚されなければ、そのような世の中になってしまうのは、避けられないのではないでしょうか。

 

 次回の第26回道場のテーマは『保守って何?ー自民党ならいいのか?ー』です。

民衆の無意識を反映するのが「理想の政治(家)」なのか?

政治(家)に期待するものは何であるべきなのか?

・・・・・・改めて問い直す機会にもなればいいなと思います。

  

 

 平成24年6月10日(日)午後1時から

いつもとは違う会場

『アットビジネスセンター東京駅八重洲通り』にて開催されます。

 

民主党の中では保守派である

田村謙治議員をゲストに招いての議論。

 

入場料は1000円。

 

参加希望の方は往復はがきに、『第26回参加希望』と明記、

 

さらに、

 

1.   氏名(同伴者がいる場合はその方の氏名と続柄・関係など)

2.   住所

3.   電話番号

4.   年齢

5.   職業(学生の方は学校名)

6.   募集を知った媒体

7.   応募の理由と道場への期待

 

返信はがきの宛名には、ご自分の氏名・住所をご記入の上、

 

152-8799

東京都目黒区目黒本町1-15-16 目黒郵便局・局留め

『ゴー宣道場』代表・小林よしのり、担当・岸端

 

まで、お送り下さい。

 

締め切りは、平成24年5/30(水)必着。

 

参加ご希望の方は

余裕を持ってお早めにご応募下さい

 

当選された方にのみ、返信はがきを送付致します。

 

たくさんのご応募、お待ちしております。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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